2016年 第98回全国高等学校野球選手権茨城大会 Special |
2016年7月25日 放送圏外でも何とかして実況中継をライブで見れないか |
昨年の決勝の時にも、放送圏外でも何とかして実況中継をライブで見れないか問い合わせをいただきました。
イレギュラーな方法ですが、Skypeなどのビデオ通話を活用した方法をご紹介します。
A【次の条件をお持ちの方の協力が必要です】
関東地方向けテレビ放送が見れる、Skypeなどビデオ通話が可能な環境、パソコン、タブレットなどがある。
B【見たい方には次の条件が必要です】
Skypeなどビデオ通話が可能な環境、パソコン、タブレットなどがある。
上記条件が整えば、A、B双方でSkypeなどのビデオ通話を開始し
Aの方のカメラとマイクでテレビ放送をビデオ通話として送ってもらう方法です。
画質、音声などが劣化するのは致し方ないとの理解は必要です。
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茨城大会は17日、4球場で3回戦8試合があった。
シード校で昨夏準優勝の日立一が取手一に0―3で敗れ、同じくシード校で一昨年優勝の藤代も姿を消した。18日は4球場で3回戦の残り8試合が予定されており、16強が出そろう。
■チームの「軸」貫き通す 日立一 エース鈴木彩斗投手(3年)
3点差を追う日立一は、九回2死まで追い込まれたが、昨夏の準優勝投手、鈴木彩斗(3年)はベンチ前でキャッチボールを始めた。「反撃を信じていた。自分が準備を怠るわけにはいかないと思った」
この日は、武器とする変化球の制球に苦しんだ。カウントを整えようと投じる直球を取手一打線に狙われた。二回に、下田恭介(3年)の中前適時打で先制点を許した。四回には、山下凌矢(3年)に内角の直球が甘く入ったところを痛打され、左越え本塁打。「予想外の失点。あれが一番痛かった」と悔やんだ。
苦しい展開が続いたが、鈴木は表情を変えなかった。八回の第4打席は一邪飛に倒れたが、笑顔でグラブを受け取りマウンドへ。「自分が表情に出せば、チーム全体に影響する。不安な顔を一切見せないでやろう」と心に決めていた。
昨夏、甲子園出場にあと一歩まで迫った。「次こそ」という思いのもと、新チームでは、エースで中軸、さらには主将を担ってきた。中山顕監督は「鈴木という軸を信頼し、全員がプレーしてきた」と話す。
試合後、鈴木は目を赤くしながらも、泣き崩れるチームメートに声をかけて回った。最後までチームの「軸」として振る舞い続けた主将は「支えてくれたすべての人に感謝したい。チームとしてやり残したことはない」と堂々と語った。(三浦惇平)
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日立一高公式ホームページより
中高合同の野球応援練習を実施しました。
⇒ 野球部壮行会・中高合同野球応援練習.pdf
※リンク切れ回避のため画像のみキャプチャし掲示します。クリックで少し拡大します。
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2016年7月6日 茨城新聞記事 夏を待つ 茨城大会の注目選手 |
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2016年6月29日 日刊スポーツ <野球の国から 高校野球監督列伝 公立編1> |
第98回全国高校野球選手権(8月7日から15日間=準々決勝翌日の休養日を含む)の各地区大会が、18日の沖縄を皮切りに本格化した。「野球の国から」の高校野球編は、「監督列伝」と題して、甲子園出場を目指して奮闘する監督たちにスポットを当てました。前編5回は公立校。第1回は、85年夏以来の甲子園を狙う日立一(茨城)中山顕監督(45)です。
日立一・中山監督 31年ぶりへ「前向きな勘違い」
記事リンク:http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/1669947.html
上野駅から特急で約1時間40分。JR日立駅の改札を1歩出ると、一面ガラス張りの向こうにキラキラと光る太平洋が広がっている。約5年前に生まれ変わった駅舎のように、昨夏日立一が久しぶりに甲子園の重い扉に手をかけた。30年ぶりの県大会決勝へ導いた就任5年目の中山監督は「まずは、いい意味で、大きな勘違いをさせるところから始めました」と語った。
31年前。日立一が初めて甲子園に出た時は、中3だった。「日立一の野球部に入る=甲子園を目指す、でした」。憧れて入るのが当たり前だった。しかし、戻ってきた母校は違った。「甲子園に出場していたことを、入部してから知る選手もいたぐらいでした」。選手の意識を変えたかった。
何をどう始めればいいのか。考えて、たどり着いた。「1人でやるのは不可能だなと。熱を持った大人の協力が必要だと思いました」。手を挙げてくれたのが、マスコミ関連勤務で同校OBの皆川達郎さん(44)と小池康裕さん(45)だった。高校時代は野球部ではない。突き抜けた「日立一」愛を持つ、熱烈な日立一野球部のファンだった。
監督就任直後に来た皆川さんは、セミナーを開いて歴史をひもといた。約1年後の12年5月に参戦した小池さんは、笑いのツボを押さえながら甲子園を身近に感じられるスライドショーを行った。スライドは毎回約100枚を超え、甲子園でプレーしているのは同じ高校生だと繰り返した。
3人がタッグを組んで半年もたたないころ、選手の言葉や表情が変わってきた。「前向きな勘違いができるようになり、人前で『甲子園』って言えるようになっていました」。同年秋の県大会で13年ぶりの8強入り。13年春のセンバツで21世紀枠候補校に挙がった。選ばれなかったが、甲子園が一気に現実味を帯びた。
忘れられない光景がある。昨夏の県大会2回戦の朝。試合に向かう前にグラウンドに出向くと、ベンチ外の下級生たちが練習する姿が目に入った。
「この夏甲子園に行ったら、俺たちの代が簡単に負けるわけにいかない。だから準備しなきゃいけないってことだった。強いチームになったというか、甲子園を感じてるのだと思い、鳥肌が立ちました。意識が変わればって言いますけど、高校野球のすごさってそういうところですね」
選手は、中山監督の想像をはるかに超えた。聖地へ向かう航海の準備は整った。【和田美保】
◆中山顕(なかやま・あきら)1970年(昭45)10月22日、茨城県生まれ。日立一では捕手として2年夏4強。日体大を経て中学講師を経た後、江戸崎西(現江戸崎総合)で野球部監督に就任。水戸一で10年監督を務めた後、11年に母校へ戻った。家族は夫人と3女。
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毎年この時期に、キャプテンから「選手権大会へむけて」と言うメッセージを頂いています。
(Mパパさん提供画像)
初戦は開幕から少しあいて、12日の2回戦からの試合です。
昨年は、先輩方が準優勝という素晴らしい結果を残してくださいました。
けれど、昨年夏、秋と、あと1勝の壁というのも感じました。
今年はそれを打ち破って、甲子園出場を果たしたいと思います。
今年は、3年生全員がベンチ入りです。
3年の底力を見せるとともに、1、2年の思い切りの良さを加え、
強い日立一高を見せたいと思います。
恐れるものは何もありません。
今まで支えてくださった方々への感謝の気持ちを忘れずに、
グランドで躍動し、一戦必勝で勝ち上がりたいと思います。
応援よろしくお願いします。
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2016年6月28日 茨城新聞記事 県大会出場校の横顔 |
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