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1980年(昭和55年)第33回秋季関東高校野球大会
準優勝し、翌年のセンバツ初出場となった高崎高校=通称「高高(たかたか)」のエースの心情を独特の視点から描き出したのが
「スローカーブをもう一球」というスポーツエッセイ、何年も前に購入した本を本棚の奥から探し出しました。
下に一部載せますので、もっと見たい方はどうぞ購入してください
(かなり売れた本ですので、古書店でもよく見かけます)
著者はSports Graphic「ナンバー」の創刊号に掲載された、『江夏の21球』を書き、スポーツエッセイにもこんな切り口があるのか?と、
世に衝撃を与えた山際淳司氏(1995年没)。
その後、NHKで同名のスポーツドキュメンタリーとしても放映され、
記憶にある方も多いかと思います。
毎回発表するエッセイは、綿密濃厚な取材を通した洗練されたもので、わくわくしながら読んだものでした。
惜しい方を失いました。
『江夏の21球』も収録されたエッセイ集のタイトルが
「スローカーブをもう一球」(昭和60年)
この文庫本を…何故いまさら
2011年、第64回秋季関東高校野球大会で、久々に
高碕高校(群馬第2位)の名前をみて、再度(何回目かは?)読み返すこととなった訳です。
今大会同校は、作新学院に敗れ、2度目の決勝進出は逃したものの、来春の吉報は、ほぼ間違いないでしょう。
まわりは、またまた、大騒ぎになっていると想像します。
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このエッセイの背景にある第33回秋季関東高校野球大会は、茨城県の開催⇒センバツへと続く内容ですので記します。
茨城県大会、ベスト4に勝ち上がったのは、日立一、日立工、水戸農、取手二
準決勝 |
日立工 8−4 水戸農 |
取手二 3−2 日立一 |
決 勝 |
取手二 6−0 日立工 |
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三位決定戦 |
水戸農 12−3 日立一 |
残念ながら、日立一高は関東大会進出はなりませんでした。
ついで、11月2〜6日 水戸市民球場、県営球場で開催された関東大会。
日立工は、一回戦 9−5 川越高、二回戦 2−1 日大藤沢、と勝ち上がり、準決勝で、前述の高高と対戦。
(本書の中にも少し記述があります)。
結果は日立工 0−2 高崎高で敗退。
水戸農は一回戦で 0−8(8回) 高崎高に破れ、
スーパーシードの取手二は、二回戦 1−0 太田原、準決勝 0−8(7回)印旛(優勝)
このことから翌年の選考会で、本県からは日立工がセンバツ初出場、同じくベスト4だった取手二は準決勝コールド負けが影響し、選抜されませんでした。
翌1981年のセンバツ大会では、エース永井君の好投もあり、
一回戦 3−2 築上中部(福岡県=福岡県立青豊高)、二回戦 6−1 桜美林と勝ち上がり
準々決勝で、優勝したPL学園と対戦、残念ながら 2−8 で敗退となったものの、見事なベスト8でした。
ちなみに決勝は
PL学園 2x−1 印旛
※日立市からはじめての甲子園出場となり
バスにて沢山の皆さんとともに、甲子園へはせ参じた事を思い出します(車中泊、遠かった〜)
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そんな時代の、高校球児の物語です。
(参考Wikipedia ⇒山際淳司 ⇒川端俊介) |
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