注※2005年11月1日作成の記事です
桜美林について

オープン戦予定は11/6vs桜美林、11/19vs友部を残すのみ(大会は11/12,13菊地杯が予定されています)。
その後は一高ファンにとってはちょっと寂しいout off seasonとなり、3月第二土曜日の解禁を待たなくてはなりません。

もちろん選手はこの時期が、春そして夏に発揮すべきパワー・スピード・テクニック・ハートを鍛え、蓄積する大切な時期である事を自覚し、トレーニングに励んでいく事と思います。
その後の姿を見るのもまた楽しみですが…

さて、6日に対戦が予定されている桜美林は、4度の全国大会出場を誇る強豪ですが、特筆すべきは1976年の全国制覇(初出場)でしょう。
ちょっと古い話題になりますが、オールドファンには懐かしい名前が出てきますので少し書きたいと思います。
以下長文になりますので、興味の無い方は別記事へどうぞ…

1976年(昭和51年)の選手権大会は沢山のスター選手と、ある意味、野球とは別な部分で盛り上がっていたため今でも印象に残る特別な大会でした。

春夏連覇をその右腕にかける・黒田(崇徳)、圧倒的な奪三振で地区大会の話題を独り占めにしたサッシーこと剛速球の酒井(長崎海星)、沖縄の星・赤嶺(豊見城)、選抜のノーヒッター剛球左腕・戸田(鉾田一)、好投手・久保と一発長打の立花、末次擁する柳川商………そして最も話題をさらったのが、2006年ジャイアンツ再生をかけて再度指揮をとる事になった、"超高校級イケ面" 原 辰徳のいる東海大相模

高校球児のアイドルの始まりは何と言っても延長18回引き分け再試合。
青森三沢高校 太田幸司投手が元祖です。

汗臭さ、努力、根性、精神論が主流だった高校野球に「イケ面が頑張る姿」を初めてテレビに映し出したのが彼です。さらに、当時、雪国であるが故のハンディなど日本人独特の浪花節的心情に訴えかける事と相まって、一気に国民的ヒーローに上り詰めました。インタビューを受ければ、その帝政ロシアの血を引く端正な顔立ちとは余りにかけ離れた青森弁で、訥々と話す言葉の節々に「あぁー苦労しているんだなぁー、たいへんなんだなぁー、頑張ったんだなぁー」と感じざるをえない雰囲気を振りまく,振りまく。
吉幾三も伊奈カッペイも絶対に超える事の出来ない領域で勝負していました。

また、相手の松山商業の井上投手(後に朝日新聞茨城担当となり、名文を出稿しました)が丸眼鏡のガチガチの高校球児であったため好対照の引き立て役になってしまい、優勝校よりも敗れた方がヒーローとなった事を記憶しています。

東海大相模の原 辰徳は1年生の時から甲子園に登場し、端正な顔立ちと、今も漫画になるほどのさわやかな笑顔、華麗なプレー、九州の無名校を全国優勝させた名監督=父との親子鷹選手としても話題に事欠かず、大会前にはその人気たるや、比類無きほど猛烈にヒートアップし、球場から帰りのバスに乗り込めないほどのファンが詰めかけたと盛んに報道されました。

さて、その年の東海大相模は前評判はあまり高くなかったものの、強打と1年生左腕の村中の活躍で、準々決勝まで勝ち進んで行き、これもイケ面球児"定岡"の鹿児島実業との延長15回に及ぶ好勝負となる訳です。

試合は9回裏に原辰徳が、鹿実のエース・定岡からヒットを打って出塁して、同点のきっかけを作り、試合は延長戦に突入。テレビ放送は6時で打ち切られ、多くのファンがラジオで続きを知る事となりました。

そして、試合は進み、14回表に鹿実が1点を勝ち越すと、またその裏に相模が追いつくという壮烈な展開となり、ついに15回表に鹿実が決勝点をあげ熱戦の幕が下りました。

試合後、テレビ中継を打ち切ったNHKに抗議が相次ぎ、以降NHKが試合終了まで中継を続けるきっかけとなりました。

1976年(昭和51年)大会の優勝候補の筆頭は、春夏連覇を狙う崇徳。
続いて、招待試合で崇徳や東海大相模にも勝ち、春に36連勝をした柳川商。

2強を追うのが猛打の東海大相模。しかし、これら強打を誇った3チームはいずれも0−1で敗れ去り、決勝戦は、西東京代表の初出場桜美林とPLという、思いがけないカードとなりました。

両者とも大会前の評価は低く(3強の注目度があまりにも高かった)、とくに桜美林の決勝進出は奇跡的とさえ言われましたが、桜美林のエース松本投手は独特のフォームで切れの良いピッチングを続け試合を重ねるごとに評価を高めていきました。

試合は3−3で延長戦に入り、10回裏、代打のサヨナラツーベスで、桜美林が初出場初優勝を飾った大会でした。

桜美林(由来はオベリンと言う方の名前)と言う校名、独特の配色のユニフォーム、
校歌の、「イエス、イエス、イエスと叫ぼうよ〜」という歌詞、インパクトが強くいまだに記憶に残っています。

後に松本投手は監督として埼玉栄(1998年)、千葉経大付(2004年)を甲子園に導いたのはまだ記憶に新しい事と思います。
2005/11/1 Laurel
2009/11追記(便利になりました):YouTube動画 ⇒1976年全国高校野球決勝 桜美林vsPL学園
この記事にいただいたコメント
投稿者:濱田宏美 2005/11/2 20:43

私は、このとき桜美林の監督をしておりました。
今から30年も前のことになりますが、とりあげてくださってありがとう。
懐かしく読ませてもらいました。


※濱田さんは清真学園の監督も勤められました。
メールで返信したため、当方からのお礼のコメントは残っていません。残念!


残っていました追記します(2009/11/16 Laurel)
Wed, 2 Nov 2005
濱田宏美様 はじめまして、白堊の球児!日立一高野球部の管理人laurelです
先程は思いもかけずコメントを頂戴しありがとうございました 。
そうですね30年前になりますね、書いていた本人も懐かしく思っていました。
当時は本当に興奮してTVにかじりついていた事を思い出します。
今の母校はあまり強いとは言えない状況ですので、桜美林 さんとのオープン戦も胸をお借りする事となってしまいますがよろしくお願い致します。
いただいたコメントは、関連サイトの掲示板に転載させていただきます。

投稿者:一高野球部関係者 2005/11/9 5:08

・桜美林との練試はいかがだったのでしょうか?

・親子鷹松本jrは早稲田(1年、外野手)レギュラーで活躍中。
同じ甲子園組の須田君(土浦湖北→早稲田1年、投手、既に多々登板)ともども神宮を沸かせて欲しいと期待しています。

・太田VS井上の激闘(投?)、原タツ・村中、怪腕黒田等々の甲子園アイドル達の活躍が甦り、懐かしくもあり嬉しくなり、ついついlaurelさんの博学に感銘し、投稿することとなりました。

・地味ですが(桐蔭初出場・優勝だったととの記憶ですが)桐蔭VS磐城の激戦も忘れられません。
(小さな大投手田村の奮闘、通算失点1の準優勝。またしても大旗白河越えならず!)

・ところで村中君(東海甲府、投手、1位指名)はかつてのエース(相模→東海甲府監督)のjrでしょうね?
・12日(土)は土浦一高にてお待ちしております。好ゲームを期待しています。

投稿者:Laurel 2005/11/9 9:08

一高野球部関係者さん ありがとうございます
晨風さんに投稿(⇒菊池杯について)いただき大変助かりました。

そうですね田村投手も忘れてはならない一人ですね。
今でも年一回磐城高校とは定期戦を行っておりますが、田村投手が準優勝した年は、春(この時は捕手で)、秋に国体の調整のため投手として日立一高と対戦をしており、機会があれば記事にしたいと思います。
12日はよろしくお願い致します。

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