野球食 Food for Baseball Players
本ページはベースボールマガジン社発行
海老久美子著「野球食」から抜粋した内容を掲載しています。
Inning Break6  食事のおいしさは、作り手と食べ手の距離の近さにあるのだ。

「僕も元テニスの選手で、いつかスポーツ選手の食事を作りたいなと思っていたので、今度の人事異動はうれしくて仕方がないんですよ」。初めて会った時、Nさんは目をキラキラ輝かせてこういった。

 Nさんは、調理師。高校時代は国体にも出場したテニス選手。この時に私の関わっていた三重県の社会人野球チームの食事を担当することになったのだ。「スポーツ栄養にもとても興味があるんで、海老さんに会うの、とても楽しみにしてたんです」ともいってくれた。中には栄養士をうとんじる調理師もいると聞くのに、なんともありがたい話だ。

 Nさんは太陽の下でテニスするのがぴったりの、明るさと温かさが全身ににじみ出ているような人だった。そんな彼の作る料理にもどこか温かさを感じる。味付けも選手と同世代であるためかとても好評だった。

 寮の食事がおいしくなる一番のポイントは、作り手と食べ手の距離を縮めることにある。物理的な距離ではなく、気持ちの距離だ。この距離が伸びれば伸びるほど、食事は味気なくなってしまう。Nさんはこれをどんどん縮めていった。

 まず、あいている時間はグラウンドに通った。そして前よりもっと野球がおもしろくなり、このチームのファンになったという。時には選手の状態を私に報告してくれることもあった。「海老さん。選手がどうも疲れているんです。練習の途中にジュースを作って出したらって思うんですけど、何かいいレシピありますか?」。早速レシピを何種類かFAXで送る。すると次の日にはそれが練習途中の選手に届けられている。

 練習が終わったあとの選手とのコミュニケーションも欠かさない。数カ月後にはNさん、選手各自の好き嫌いをほとんど把握していたようだった。その好みに合わせた新しい料理もいろいろ考えて、社内の栄養士さんに相談していたらしい。

 また、ピリオダイゼーション(期別のコンディショニング)を意識したメニューについても積極的に取り組んだ。
私と各期別に設定エネルギーとテーマを決め、それに合わせたメニューを社内の栄養士と考え、それを選手の体調によってアレンジする。体調を萌した選手にはできる限り個別に対応する。

 こんなきめの細かい対応を毎日コツコツ続けて、Nさんは食べ手である選手との距離を縮めていったのだ。そしてこれが当たり前になってきた頃、このチームは日本一になった。もちろん日本一になったのは選手。でも選手がここまでがんばれた陰にはNさんの努力があったのだ。

 そして、それを選手もスタッフもよーく知っていた。こうしてNさんはチームになくてはならない人になった。でもしばらくしてNさんは転勤でイギリスに行くことになってしまった。会社系列のホテルの担当になったのだ。そしてそれから4年後、Nさんは再び三重県に帰ってきた。「イギリスでの経験を生かしてまたがんばります」という力強い言葉とともに。きっと一回り大きくなって帰国したであろうNさんに会うのが今から楽しみだ。

 こんな話を聞くと、自分の周りにもNさんみたいな調理師がいたらなぁって思う選手、多いはず。そうだよね、でもNさんみたいな人はそうそういるもんじゃない。だから周りに頼っていちゃダメ。自分がNさんになることを考えよう。

 自分からごはんを作ってくれる人との距離を縮めるのだ。自宅で食事をしている選手はお母さんと、寮で食事をしている選手はその食事を作っている人とのコミュニケーションを図ろう。で、今よりもっと自分のファンになってもらおう。そうすれば、ごはんは今より絶対おいしくなるのだ。


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